大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和32年(う)1950号 判決 1958年7月19日

控訴人 被告人 峯島智

弁護人 彦坂敏尚

検察官 沢田隆義

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人彦坂敏尚及び被告人本人作成提出の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

(四) 逃走罪は公の拘禁作用を侵害する所為であるから、その主体は法令により公力を以つて自由を拘束せられた一切の者を包含するものと解すべく、従つて現行刑事訴訟法により新たに設けられた逮捕状の執行を受けた者は、刑法第九十八条所定の「勾引状の執行を受けた者」に準ずるものとして取り扱うのが相当である。それゆえ被告人が原判示第三の(一)の(2) の如く長野地方裁判所裁判官の発した逮捕状の執行によつて原判示中野警察署に留置中、同署留置場の一部を損壊して逃走を遂げた以上、同条所定の罪責を免れ得べきでない。なお同罪の構成要件たる拘禁場又は機具損壊は、固よりその手段方法の如何を問わないのであるから、所論の如く特に器具を用いて損壊した場合であることを要するものではなく、原判示のように箱錠を以つて錠を施した留置場出入口の開き戸に体当りして右箱錠の受座及びその周囲の木部を損壊した場合も、同条にいわゆる「拘禁場を損壊」した場合に該ることは論を俟たない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 谷中薫 判事 坂間孝司 判事 司波実)

被告人峯島智の控訴趣意

第四加重逃走について 今回の事に対して捜査側はあまりに私にのみ一方的な処分でほんのささいな疑いにより私の身柄まで逮捕した上、係りの警察官があまりに意地が悪いので私はそのまま警察から私の実家へ逃げ帰つてしまつた事は事実ですが御存知の通り法律に依ると裁判所の拘留状の出ていない中は、逃走罪は成立しない事に成つており、私が実家へ逃げ帰つたのは逮捕された当日であり、従て勿論裁判所の拘留状は出ていない時の出来事です故法律上はあくまで無罪を信じます。

弁護人の話では、他にも、この様な事件で大阪高裁にて、無罪の判例もあるとの事ですし、もし、本件が有罪なら法律などあつても無くとも同じ事であると考えます。

又加重逃走などと言う事は、三人もの警察官が、私につきそつているのにあり得ない事で、警察の留置場と言うものは、法律違反の犯人をげんじゆうに監禁しておくべき所故そんなに、かんたんに留置場が破れるはずがなく三人もの警察官がつきそつていて、常に、看視している上に何んの道具も使用したわけでもないところの加重逃走などと言う事は有り得ないと信じます。

加重逃走とは、ヤスリ等で鉄格子を切つて逃げたとか、その他いろいろの道具等を使用して、すでに人間の力ではどうする事も出来ないところの拘禁場を破つて逃げた等の場合に成立するものと考えられ、裁判所としても、加重逃走の規格がある筈だと思います。

留置場などと言う所は何んの道具も持たない、丸はだかの人間の力では、とうてい破れるべき所でないように造つてあり、私の様な、か弱い人間の力ではどうする事も出来ないし、まして、三人もの警察官がその場に立合い、つきそつていて、加重逃走などとよくも恥かしくもなく言えたものであると思います。私は決して、とびらに体当りなどもしないし少し力を入れて押したら、かんたんに、とびらが開いたもので、その小さな観音開きの戸のかぎを御覧下さればわかりますが、しかし、そのかぎは私はこわしたおぼえはぜんぜんありません。

最初から、私は本心から逃げる気持などはありませんでしたが、あまり簡単にとびらが開いてしまつたので外に出てしまつたもので、私の考えでは、たしかに警察が、かぎのかうのを忘れて居りかぎはかかつてなかつたと思われます。

又、日頃何時でも閉めておくべき鉄の二重とびらが、この時は開いて居り、留置人が居る場合、そのとびらを開いて置く事は、警察署自身の違反であり故に私も逃げ帰つてしまつたものでその場に居た警察官三人が、彼等自身の職務怠慢の弁護のために私を加重逃走に仕立たものと考えます。又私がとびらに体当りしたと言う事など、出鱈目な偽り事で、その時私は三人もの警察官につきそわれており、事実、体当りなどするひまがありませんでした。

いずれにせよ私が家に帰つてしまつたのは裁判所の拘留状の出ていない時故、法律上では、無罪であり、私も家に帰つてしまつたその行為については充分反省致して居りますがかような事が有罪であることは理由不備であり、法律違反である。又検察官自身かような事は法的に起訴出来るべきものでなく、法律を無視しているもので法律違反であると考えます。

(その他の控訴趣意は省略する。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例